予行演習

僕ら夫婦は共に北海道出身である。
産後も二人だけでなんとかやってきたので両親には写真でしか娘を見せていない。
ついでに言うと結婚式もしなかったので両家の親同士も会ったことがない。

慣習のゆるい北海道特有の気質のせいか、気になってはいたものの
誰もが「いつか会えるでしょう」と機会を設けることもしなかった。

両親もそこそこ高齢であるし、赤ちゃん期間は短いので、ここで一纏めに娘の顔を見せることと親同士の顔合わせを一気にやってしまおうということになった。

しかし、娘は家からせいぜい半径3キロ圏内しか出かけたことがない。それがいきなり北海道に行くということになると大冒険である。 何しろ電車にも乗ったことがないし、飛行機ならなおさらだ。

ということでいろいろと気がかりなことがあるので、一度空港まで行ってみることにした。

ところで「気がかりなこと」とは何か。赤ちゃんを連れて公共の交通機関を使って出かけるとなると大人二人で出かける際には全く意識することのない点がいろいろと気になってくる。

まずは駅や空港にエレベータがあるかどうか。これは極めて重要なポイントである。何しろ娘と赤ちゃんグッズをたくさん持って移動しなければならないのだから、特に移動が長距離の場合はなおさらだ。
とりあえず最寄駅のいつも利用する出入口にエレベーターが無いことは知っている。もうひとつの改札に回るという手もあるのだが距離がありすぎる。仕方がないから階段の下で一度ベビーカーから娘を抱き上げて階段を登った。乗り換えた都営地下鉄の駅にはエレベーターがあったが、とんでもない位置にあって全然役に立たない。 これは世の中にたくさんある子供を育てるにあたっての弊害の一つだ。

次に電車とか飛行機の中で泣かないかということ。これは乗せてみないとわからない。

予行演習1 

とりあえず電車は大丈夫そうだ。外が見えるように上の写真のようにしてみたが、不思議そうにじっと眺めていたのでとにかくおとなしかった。
ただし連休前半の最終日午前ということもあり、電車は相当に空いていた。一応、本番当日とほぼ同じような時間帯に出かけたのだが、当日は平日なので混み具合が心配。
 

予行演習2 

前回も書いたが、うちの娘は外出すると必ず眠ってしまう。今回もまた眠った。電車の中は結構うるさいと思うのだが行きの電車に乗っていた時間の半分は寝ていたと思う。 空港に着いてもグズることなくご満悦だ。

予行演習4 

さて次は授乳室の確認だ。これも重要だ。何しろ飛行機に乗っている時間が一番長いし、電車みたいに泣き出したら途中で降りるというわけにはいかないので、空腹を満たしてとりあえず泣かないように配慮しなければならい。だから空港に着いたら頃合いを見て授乳室に行く。

羽田空港の出発ロビーにある授乳室を使ってみた。男性も入ってよい旨の表示があったので私も入ってみたが、給湯器があるからミルクを作ることもできるし、簡単な水道設備があるからちょっとした洗い物もできる。オムツの交換台も2つあるし授乳する場所もカーテンで仕切ることができる小部屋が2つある。問題ないだろう。

予行演習3 

空港まで確認できたのでまた電車に乗って家路につく。帰りは電車のアナウンスの音声が馬鹿デカくて目を覚ましてしまい、その都度心配になったが泣かずに家まで辿り着けた。何とも良い子な一日であったが僕も妻もヘトヘトになった。

もうすぐ本番の北海道行きである。憂慮していた点はいくつか確認できたので少し安心したがやっぱり心配かな。


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ジャンル : 育児

ゴールデンウィーク初日

暖かい季節になってきた。
昨日の東京は25度位まで気温が上がり、長袖のシャツでは暑いくらい。

天気も良いし、連休初日だし、だからまた家族で散歩にでかけた。
赤ちゃんがいるとどうしてもお出かけに制限が出る。ベビーカーでは不向きな場所もあるし、外食もどこでもふらっと入れる訳ではない。荷物だってミルク関係・オムツ関係・着替えなどかさばったものになる。 今までは大人二人でのんびり自由に外出していたが、最近は娘中心になり、行動予定は割とキッチリ決めてかかるようになった。
今のところ我が家のお出かけはほとんどが近くの公園。まずは外の環境に慣れて貰いたい。

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娘は外に出ると寝てしまうことが多い。家にいるときには小さな物音にも神経質に反応してすぐに泣き出すのに、なぜか騒音だらけの外にいると自然に眠ってしまう。 なので静かにしないほうが良いのかと思って、一度音楽をかけっぱなしで寝かせたことがあるのだが、曲間がどうしても無音になるので次の曲が始まるときにビクッとして起きてしまうのだ。
日中抱っこばかりしている妻に変わり、夜の寝かしつけは僕の担当なのだが、寝かしつけの最中と眠ってからは、ふたり共空き巣に入った泥棒のごとく音をたてないようにソロソロと行動する。夫婦間の伝達方法は場合によっては目だけだったりする。
たまに僕が音をたててコップを置いたりなんかすると、妻の眼光がそれはそれは鋭くなる。

DSCN0877_c.jpg 


本日も散歩中に案の定眠った。それにしても今日の散歩は結構長時間だった。初めて外でミルクも飲んだ。
不意に階段なんかがあると、一人が抱っこ、もう一人がベビーカーを持ったり、運動不足解消にはもってこいだ。
子育ては若いうちが良いとはよく聞くが、その通りだと実感する。細々した世話なども非常に多い。
今はそんな世話も楽しんでいるが、今後良く走るようになった時なんかこちらの体力が持つのかな、とふと思う。 

DSCN0881_c.jpg 
 

そして散歩の帰りに子供服を見に行った。うちの娘はいま70センチサイズの服を着ているのだが70センチサイズまでの服はどこのお店で見ても余り種類がない。ところが80センチサイズを超えると爆発的に種類が増える。これから色々と可愛らしい服を選べるのでこれも楽しみの一つ。自分の服装には無頓着な僕が娘の服になると一生懸命に物色してしまうのだ。

生まれてから4ヶ月経過したが、日々様子が変わっている。
眠りに入るときは決まって泣くのだが、数日前、外から帰ってきてソファに座らせたらそのまま眠ってしまったらしい。一度目を覚ましてから、少したってまた自然に寝てしまうというのも最近の新しい顔。

人見知りも始まったらしく、母親じゃないと泣いて泣いてどうしようもない事がある。
僕は帰りも遅いし週末しかじっくりと娘の面倒をみることができないのだが、週末に仲良くなり、慣れてきた頃にまた休みが終わって元通り。木曜あたりからは何かと泣かれてしまう。

お風呂に入る時も、僕はメガネを取るのでどうも別人だと思っているらしく、以前は全然泣かなかったのにお風呂の中で泣くようになった。

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クレンペラー モーツァルト交響曲第29番/第31番/第36番

クレンペラー モーツァルト 29_31_36 

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)

1.交響曲 第29番 イ長調 K.201  (1774)
2.交響曲 第31番 ニ長調 K.297  「パリ」 (1778)
3.交響曲 第36番 ハ長調 K.425 「リンツ」  (1783)

オットー・クレンペラー(指揮)
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(1)
フィルハーモニア管弦楽団(2、3)

EMI 1965年(1)、1963年(2)、1956年(3)

オットー・クレンペラー(1885-1973)は古い世代の指揮者である。なにしろあのグスタフ・マーラーにも会ったことのある人である。だから彼の音楽には何となく古いウィーンの香りがする。ゆっくりしたテンポによって精密かつ明確に表現された音楽はある意味近づき難い厳しさすら感じる。

このCDに収められたモーツァルトの交響曲も、通常聴きなれたモーツァルトとはかけ離れたテンポで演奏されている。というよりもクレンペラーのイメージは全然モーツァルトにそぐわないように思える。どちらかといえばモーツァルトというと快速・軽妙・明朗な表現が多いし、そういう演奏に少なくとも僕は慣れ親しんでいるから尚更だ。

それにしてもこれらのモーツァルトは実に独特な味わいを持っている。

第29番の第1楽章。いつもの聴き慣れた音楽ではないが、テンポがゆっくりとしているためか普段聴き飛ばしているような部分が浮かび上がってきてとても新鮮である。各パートの絡み方が明確に聴こえてきて実に美しいのだ。第2楽章はとても優しい表現。厳しさなど微塵も感じられないやわらかい音である。リズミカルな第3楽章はテンポはゆっくりでも、きびきびとメリハリのある音作りがなされている。第4楽章の快活さも独自の持ち味を出しつつも全く損なわれていない。

第31番は堂々と開始される第1楽章からこの曲の持つ力強い楽想が美しく奏でられている。通常のモーツァルトの演奏では感じられない重厚感のようなものがあるが、だからと言って重苦しい表現ではけっしてない。ただ細部にわたって緊張感が漲っている。おだやかな第2楽章はたっぷりとしたテンポの取り方がこの楽章の良さを引き出しているようだ。快活な第3楽章は木管と弦楽器の絡みが爽快である。オーケストラの中ではどちらかと言えば脇役感の強い木管楽器がはっきりと聴こえるように演奏されている。晩年の作品を思わせる感動的なフィナーレも良い。

第36番は後期の作品であるためか楽曲がより発展しているのがわかる。この曲の演奏は前2曲と比較してテンポが速い。通常の演奏と余り変わらないテンポである。第1楽章から軽快に飛ばしているがクレンペラーの持ち味であるパートの明確さや緊張度の高さは変わらない。彫りの深い、刻み込むような表現が心地よい。快速からどうして低速運転に切り替えたのか興味のあるところである。第2楽章は大らかにたっぷりと弦を響かせていてこれもまた美しい。第3楽章のメヌエットは木管の美しさが際立っている。オーボエとファゴットの端正なたたずまいが良い味をだしている。快活に始まる第4楽章は控えめな金管楽器が弦と木管の絡みをかき消すことがなくきちんと聴こえるように演奏されている。強弱をはっきりとつけているにもかかわらずぎこちない感じが少しもなく実にスムーズである。


テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

花見に行ってきました

 花見3

東京は今週末、桜が満開。

というわけで我が家でもお花見に出かけた。
毎年いろいろなところに出かけるのだが、今年は娘がいるのでガラガラとベビーカーを押して近くの公園に行った。

いつもはおにぎりを作ったり、近くのお店で和菓子を買ったりして行くのだが、今年は何もなし。
娘は何も食べられないし、泣き出したりしたらすぐに家に戻らないければならないので仕方がない。
それでも少しは腰掛けてみたいから、ピクニックのシートを持っていった。
 
花見4 

近くの公園は桜の名所ではなく、普通の公園に桜がたくさん植えられているだけなのだが、毎年たくさんの人が集まる。
僕らが行ったのは午前中だったが、すでにあちらこちらにブルーシートで場所取りがしてあって、そろそろ宴会を始めようかというグループもあった。

  花見5

娘は出かける直前ちょっと寝そうな感じだったのでご機嫌斜め。
公園に到着して写真を撮り始めたら泣き出したので抱っこしてそのへんをウロウロしたら寝てしまった。
初めての花見なのにな〜、でもまだ何もわからないからイイよね。

テーマ : 育児日記
ジャンル : 育児

子供に教えるべきこと

子供ができてから自分のなかで漠然と気になっていることに「道徳」という言葉がある。

「道徳」というと何だか教育的な姿勢が前面に出ていて、それだけで堅苦しくて高圧的なイメージがある。しかしながら「道徳」と呼ばれるものにそういった消極的なイメージしか持てないのは、何の理由や説明もなしに「・・・しなさい」、「・・・するべきである」、「・・・しなければならない」という原則の羅列だけを押し付けられるからである。

「倫理」という言葉もある。これはどちらかと言えば学問的なもので正しい行為というものをロジカルに突き詰めるものだ。そしてもう一つ「常識」という言葉がある。これはもっと一般的な言葉で日常生活のなかで正しいと思われる行為を常識的な行為と呼んでいるだろう。

僕の勝手な解釈によると、「倫理―道徳―常識」と並べて左にいくほど抽象度が高く、右にいくほど一般度が高い。これはレベルの高低を言っているのではない。これらは「正しい行為とは何か?」という問いに対してそれぞれに存在理由があると思っている。

上にも書いたとおり「倫理」は学問であるから一種の普遍性を追求するものであり、世界中のいろいろな考え方を持った人々が行き交うような現代においては実は最も必要な学問であるとも言える。正しい行為のユニバーサル・デザインを見つける思考というと乱暴だろうか。「道徳」というのは僕はマニュアル化された「常識」だと思っている。つまり教育するのに便利なように作られているツールのようなものだ。これはこれで僕は必要だと思っている。なぜなら説明もなしに道徳的命令を受けた人はそれについて「考える」からだ。その命令が間違っているという結論でも良いのである。とにかくそれは人間の思考を刺激していることに間違いはないのだから。

さて、それでは「常識」とは何か?僕は「常識」というのは文化圏を同じくする人々の間の対立を可能な限り少なくするための「知恵」だと思っている。 マナー・礼儀作法・エチケットというのも同じようなものだろう。つまり「常識」とは「自分の周囲にいる人々が不快に思わないような行動、言動、身なりを維持する最低限の品格を持つこと」じゃないかと思う。

話を最初に戻すと、こういった事柄が気になりだしたのはやっぱり娘のことがあるからだ。
正しい行為、間違った行為の区別はきちんと教えないといけない。ある程度自分で物事を考えられるようになったら今度はそれらがなぜ正しい行為なのか、なぜ間違った行為なのかということを納得できるように説明できなくてはならない。そしてなによりも親である僕ら夫婦が発言していることと矛盾した行為をしてはいけない。しかし言うのは簡単である。

僕ら夫婦は同居し始めてから今年で12年になる。12年間二人きりで暮らしているといろいろなことがいい加減になってくる。品格なんてどこへやらで寝間着のような適当な格好でゴロゴロしていたり、食事をしながらテレビを見たりパソコンをいじったり、見るも無残な状態であるから、とてもじゃないが娘に向かって「ちゃんとしなさい」なんて言えるわけがない。

だからまずは自分たちの行動から直さなくちゃならないし、そのうえで良い習慣を身につけていかなくちゃいけないと思っている。結局、子供は親の背中を見て育つのだから、なるべく自然に常識的な行動ができるように僕らが変わっていかなくちゃいけない。

お里が知れるという言葉がある。 僕は自分の娘を、綺麗に着飾って高級レストランに入り、小汚い音をたてて食事をするような輩にはしたくないのである。 それは親として子供の行いが恥ずかしいといことではなく、何よりも子供の幸せを願ってのことである。社会に出て自分では訳もわからずに周囲から排斥されるような人間にしたくはない。

なんとも堅苦しい話になったが、とにかく子供に最大限の幸せを与えてやるのが親の務めだと日々考える次第である。


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私の好きな音楽を紹介していくページですが、タイトルどおり「みちくさ」ばかりすると思います。そんなときも気長にのんびりお付き合いいただければ幸いです。

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